現代の経済は、アメリカのドルを基準とした「変動相場制」で成り立っています。
今回の記事では、「金本位性」だったかつての世界経済から「変動相場制」になったいきさつについて詳しく解説します。
金本位制とは
金はその美しい輝きや、腐食しにくく加工することができ、分割することもできるという性質から、色んなものと交換することができました。
そのため鋳貨として使われていました。
この金貨を様々な商品の価値を表すための基準として使用することを金本位制といいます。
金本位制の下で発行された紙幣は、一般に各国の中央銀行が発行する銀行券であり、中央銀行が保有している金貨や金塊などと引き換えに発行される兌換紙幣です。
紙幣の信用は金本位制の兌換制度にあり、金本位制の下での紙幣量は金の保有量に制約されます。
金本位制での輸出入の差額などは、金で支払われ調整されていました。
貿易が赤字になってしまうと、金が国外に出ていき金が出ていくことで国内通貨量は減少します。
その結果国内の所得は減少してしまい、物価は下がることになります。
そうなると今度は輸入が減り輸出が増え、貿易赤字が解消していきます。
このようなメカニズムが金本位制にはあり、これを金本位制の自動調節作用といいます。
金本位制は1816年にイギリスで始まりました。1844年にイングランド銀行が金と交換可能なポンドを兌換紙幣として発行し、19世紀末頃にロンドンを中心とした国際金本位制=ポンド体制として確立しました。
このころのイギリスは広大な植民地を有しており、最も安定した財政基盤を有しており、イギリス経済のヘゲモニー確立の理由でした。
19世紀までのイギリスというのは、世界の工場として世界経済をリードしていましたが、20世紀には工業生産力でアメリカやドイツに抜かれてしまいます。
それでもイギリスは、金本位制=ポンド体制によって世界の銀行として世界資本主義をリードしていました。
第一次世界大戦後の金本位制
金本位制は第一次世界大戦時に一時停止しました。
その後世界経済の復興とともに1925年にイギリスを始め金本位制に戻りました。
金本位制により各国の通貨は金と等価関係になり、相互に交換することが自由に行われることを保障されていました。
しかしこの頃のイギリスは国家的威信にこだわり、第一次世界大戦前のレートで金本位制に復していました。
イギリスはすでに国際競争力を失っており現実に合わず、貿易収支は悪化していくことになります。
その結果アメリカに資金が集中しました。
アメリカは金融緩和を進め、そして世界中の資金が過度に集中してしまい、結果これがアメリカの株式市場が暴走してしまう遠因になりました。
日本も1930年に金を解禁し金本位制に踏み切りましたが、イギリスと同じように旧平価での解禁であったため、金の流出などが起こってしまい失敗に終わりました。
金本位制の崩壊
世界恐慌が起こり金本位制が崩壊していきます。
世界恐慌が深刻化していき、世界的に金融不安が広がり1931年から1933年の間に次々と金本位制から離脱していきました。
ドイツの銀行破綻を受け31年9月金本位制停止に踏み切ります。そしてイギリスと関係が深いポルトガルや北欧諸国がそれにならいました。
31年12月に日本の内閣が金輸出再禁止を決定しました。
1933年にはアメリカ合衆国も金本位制を停止しました。
これにより世界の金本位制は崩壊したのですが、その一方でフランスやオランダ、ベルギーは金本位制を維持し、金ブロックという一種のブロック経済圏を形成することになりました。
ロンドン世界通貨経済会議
世界恐慌から始まった世界同時不況から脱出するため、各国が協力しなければという機運が高まり1933年ロンドンで世界通貨経済会議が開催されました。
これには64か国740人が参加し、日本も参加しました。
世界規模での通貨と経済の会議として世界恐慌の脱出の糸口になるのではと期待されていました。
しかしフランスやイタリアなどの金ブロック諸国とアメリカの折り合いがつかず審議が低調になり、無期休会となってしまいました。
管理通貨制度
通貨制度は金本位制に代わり、中央銀行の管理下で紙幣が発行される管理通貨制度に移行することになりました。
管理通貨制度下では、紙幣を金に変代えることができない不換紙幣として発行され、紙幣の発行量は金の保有量で制限されるのではなく、中央銀行の保有する資産を根拠として発行されるものです。
世界通貨制度としての金本位制は崩壊しましたが、イギリスやフランスはブロック経済圏を形成し保護主義をとるようになります。
第二次世界大戦後の国際通貨制度
第二次世界大戦後は連合国を主体として、世界経済のブレトン=ウッズ体制を作り、アメリカ合衆国のドルを基準通貨とし平価切下げ競争など起きないように固定為替制度をとることになりました。
そして国際通貨基金と世界銀行を設立することで、通貨の安定や経済の復興を図りました。
その後ブレトン=ウッズ体制は、1973年の為替の固定相場制が変動相場制に移行し終わりました。